【不妊治療12カ月と6日 “底”で過ごしながら その2】

不妊治療

前回から続きます。

稽留流産

妻のおなかの子どもは、稽留流産という状態。

既に死亡しているが、母親のおなかに留まっている。

その場で先生から受けた説明では、

  1. 自然に出てくるのを待つ
  2. 手術して取り出す

という2択らしい。

手術を受けることによって生じるリスクは、その他の外科手術等と同じ。

全身麻酔によるリスクだ。

では自然に出てくるのを待つのが良いかといえば、そうでもない。

その時には当然ながら激痛と出血が伴う。

そして亡くなった胎児が、いつ、どこで出てくるかは、誰にも分からない。

自宅で就寝中かもしれないし、電車で移動している時かもしれないし、職場で働いている時かもしれない。

ただ、おなかの中で亡くなっている愛しい子どもを、そのまま放置しておくことが私と妻には辛かった。

人それぞれいろんな意見はあるだろうが、我々は「亡くなってるのにおなかの中に一人でいたらきっと苦しいだろう。早く外に出してあげたい」という考えだった。

手術の予約

おなかの検査が終わり、手術を5日後に受けることが決まった。

朝7時に受付をして、だいたい9時か10時くらいに手術開始という流れ。

日帰りOKなので午後には病院を出られるようだが、妻が一人で帰るのはNGとのことなので、私が送り迎えをすることになった。

その日はこれで終了となり、妻と帰宅。

手術のための事前説明など書類に一通り目を通したが、いまいち頭に入ってこない。

おなかの子どもが亡くなっているという感覚がない。

ひどく質の低いジョークをずっと聞かされている気分だった。

でも、悲しい。

その日も、その次の日も、タオルを持ってベッドに入った。

【不妊治療12カ月と10日:公園へ】

手術前日。

天気が良かったので、近所の公園へ散歩に出かけた。

おなかの子どもがいないことを知って以降では初めての散歩。

相変わらず水仙は綺麗だったし、公園の鮮やかさは増していた。

つぼみしかついていなかった木々からも、申し訳なさそうに小さく花が咲き始めていた。

1週間前と比べ、公園はより美しく、にぎやかになっている。

でも私と妻の心情は1週間前とはまったく違う。

今までやってきたことが「無」になり、空虚感に襲われていた。

まるで我々のところだけ時間が止まっているかのようだ。

散歩から家に戻り、妻と夕ご飯を作り、食べようとした時だった。

子どもはもういない。

3人での生活は、ただの幻想だった。

目の前の妻のおなかには、本当に短い、あっという間の生涯を終えた胎児の亡骸が残っているだけ。

突きつけられたそんな現実があまりにも辛く、そして津波のように押し寄せてきて、夫の私が急に嗚咽するほど泣いてしまった。

食卓に向かい合って座っていた妻が席を立ち、泣きじゃくる私を抱きしめてくれた。

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