前回から続きます。
稽留流産
妻のおなかの子どもは、稽留流産という状態。
既に死亡しているが、母親のおなかに留まっている。
その場で先生から受けた説明では、
- 自然に出てくるのを待つ
- 手術して取り出す
という2択らしい。
手術を受けることによって生じるリスクは、その他の外科手術等と同じ。
全身麻酔によるリスクだ。
では自然に出てくるのを待つのが良いかといえば、そうでもない。
その時には当然ながら激痛と出血が伴う。
そして亡くなった胎児が、いつ、どこで出てくるかは、誰にも分からない。
自宅で就寝中かもしれないし、電車で移動している時かもしれないし、職場で働いている時かもしれない。
ただ、おなかの中で亡くなっている愛しい子どもを、そのまま放置しておくことが私と妻には辛かった。
人それぞれいろんな意見はあるだろうが、我々は「亡くなってるのにおなかの中に一人でいたらきっと苦しいだろう。早く外に出してあげたい」という考えだった。
手術の予約
おなかの検査が終わり、手術を5日後に受けることが決まった。
朝7時に受付をして、だいたい9時か10時くらいに手術開始という流れ。
日帰りOKなので午後には病院を出られるようだが、妻が一人で帰るのはNGとのことなので、私が送り迎えをすることになった。
その日はこれで終了となり、妻と帰宅。
手術のための事前説明など書類に一通り目を通したが、いまいち頭に入ってこない。
おなかの子どもが亡くなっているという感覚がない。
ひどく質の低いジョークをずっと聞かされている気分だった。
でも、悲しい。
その日も、その次の日も、タオルを持ってベッドに入った。
【不妊治療12カ月と10日:公園へ】
手術前日。
天気が良かったので、近所の公園へ散歩に出かけた。
おなかの子どもがいないことを知って以降では初めての散歩。
相変わらず水仙は綺麗だったし、公園の鮮やかさは増していた。
つぼみしかついていなかった木々からも、申し訳なさそうに小さく花が咲き始めていた。
1週間前と比べ、公園はより美しく、にぎやかになっている。
でも私と妻の心情は1週間前とはまったく違う。
今までやってきたことが「無」になり、空虚感に襲われていた。
まるで我々のところだけ時間が止まっているかのようだ。
散歩から家に戻り、妻と夕ご飯を作り、食べようとした時だった。
子どもはもういない。
3人での生活は、ただの幻想だった。
目の前の妻のおなかには、本当に短い、あっという間の生涯を終えた胎児の亡骸が残っているだけ。
突きつけられたそんな現実があまりにも辛く、そして津波のように押し寄せてきて、夫の私が急に嗚咽するほど泣いてしまった。
食卓に向かい合って座っていた妻が席を立ち、泣きじゃくる私を抱きしめてくれた。
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