恥ずかしながら、妻から切り出されるまでまったく知らなかったのだが、ドイツでは(日本でも?)産前や産後のケアを助産師さんにお願いするのが一般的らしい。
ドイツでは助産師さんのことをHebamme(ヘバメ)と言う。
で、ドイツの場合、Hebammeさんは個人事業主が多いようだが、どこかの病院に勤務しつつ副業としてもHebammeをしている人もいるようだ。
【探しだすのが遅すぎる】
妻の親しい友人に、2年半前と、そして半年前に出産を経験している人がいた。
今から約2カ月半前、その友人と妻が会った時、妻はその友人に妊娠していることを打ち明けた。
友人はとても喜んでくれたが、その時その友人から「Hebammeさんは見つかったの?」と言われたらしい。
妻が「まだ探してもいない」と言ったら、「けっこう早めに探したほうがいいよ。私は2人目の時、結局最後までHebammeさんが見つからなくて、産後になってようやく見つかったくらいだから」と言われたようだ。
この時点で、妊娠20週頃。
だが、その友人によれば「妊娠が発覚したらすぐにHebammeさん探しをスタートするのが一般的」だという。
また「Hebammeさんの数が慢性的に足らなくて、争奪戦になることがその理由」ということも教えてくれた。
その基準で考えると、つまり我々は周囲よりも2カ月以上、その戦いで遅れをとっていることになる。
妻がそんな情報を仕入れて帰宅し、私にそのことを教えてくれた。
早速、Hebammeさんを探すためのオフィシャルHPを見てみた。
そこにはHebammeさんの名前、住所、メールアドレス、電話番号が掲載されていた。
おそらくは25~30件くらいだろうか。
電話をかけては断られ、電話がつながらないところはメールを送り…という作業を4時間くらいかけて行った。
Hebammeさんの中には電話で「(我々の出産予定日より)3カ月後まで予約が埋まっている」と教えてくれた人もいる。
つまり、そのHebammeさんにお願いした人たちは、やはり妊娠7~8週でコンタクトを取っていたことになる。
私と妻の初動は、とてつもなく遅かったようだ…。
【稽留流産の影響】
言い訳のように聞こえるかもしれないが、私と妻の初動が遅れたのは、やはり稽留流産が関係している。
7度のIUI(人工授精)が徒労に終わり、IVF(体外受精)もうまくいかず、ようやくICSI(顕微授精)を経て今回ベビすけが妻の体に宿ったことは、なにものにも代えられない喜びがあった。
しかしその一方で、稽留流産の時のショックは私と妻の脳裏に強く刻み込まれている。
このブログでも何度も記してきたが、あの時は有頂天になりすぎたところから、一気に地獄へ突き落された。
人によっては「そうは言っても7~10週くらい(の小ささ)でしょ?」と思うかもしれない。
「もっと大きい胎児を亡くした人もいるし、出産後に子供を亡くした人だっているんだから、その人たちに比べたらマシだよ」と思われるかもしれない。
実際、知人の一人に稽留流産したことを打ち明け、毎日妻と2人で泣いていたことを伝えたら「え!?でも10週未満とかでしょ!?」と言われたこともある。
でも、どんなに小さくても、それがブルーベリーくらいの大きさだったとしても、私と妻にとっては本当に大切で、愛しくて、かわいい我が子。
今回、ベビすけが宿った嬉しさを感じる反面、もしかしたらまた同じような悲しみを味わうのではないかという恐怖は、私も妻も毎日持っていた。
そのせいで両親や親しい友人への報告が安定期をとうに過ぎた頃になり、産後に必要な物品の購入も遅れてしまった。
Hebammeさん探しが遅れた理由も、元を辿ればここに行き着く。
【待てど暮らせど…】
結局、メールを送ったところからも、断りのメールが来ればまだいいほうだった。
そのままスルーされることなんてザラにあった。
そしてスルーされたところに電話をかけても、「その時期は予約で埋まってるね~」と、当たり前のように断られる。
妻とは「最悪の場合、Hebammeさん無しで産後を乗り切るしかないかもね」と落ち込んでいた。
特に妻は「産後にちゃんと母乳が出ているか、赤ちゃんが母乳を飲んでくれているかを、Hebammeさんに見てほしかったんだけどなぁ。赤ちゃんに育ってもらうためには…」と心配していた。
でも、見つからないものは見つからない。
「またしばらくしたら、再度コンタクトを取ってみようか」
というところで、話を決着させるしかなかった。
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