不妊治療を卒業し、一般開業医でおなかの赤ちゃんを定期的に検査することになった。
しかし、その第一回目。
先生の口からは「すでに亡くなっている」という言葉が出てきた。
過呼吸
あまりにもショックすぎて、その時の記憶がかなり曖昧だ。
先生の「亡くなっています」という言葉を聞いてから、私の目の前は黒い靄がかかったかのように暗くなり、猛烈な吐き気に襲われ、呼吸が一気に苦しくなった。
トイレに駆け込もうかと思ったが、数m先の診察台にまたがっている妻は、明らかに泣いている様子。
「妻を置いて、自分だけトイレに駆け込むわけにはいかない」
その一心で、気持ちを冷静に保つことに集中した。
今思えば、あれは過呼吸のようなものだったのかもしれない。
妻が診察台から降りた。
先生の机の前に2人で座りながら話を聞いている間も、私は何度も吐きそうになり、その都度トイレに行きたかった。
でも、横では妻が泣きじゃくっている。
「お前は男だろ?お前が奥さんを置いてトイレに逃げてどうする?」
たった数分の短い時間だったと思うが、強気な自分と弱気な自分が何度も戦い、強気な自分がかろうじて勝利を収めていた。
傘
医者を出る頃、来た時よりも雨脚は強まっていた。
でも、傘はささなかった。
私も妻もどちらも、「傘さそうか」とは言わなかった。
正直に言うと、どうやって家に帰りついたのか、ほとんど記憶がない。
ただ、医者を出たあと私が妻に「少し、歩いて帰ろうか」と言ったのは覚えている。
途中から電車に乗ったのか、そのまま歩き続けて帰ったのか、その時の記憶がごっそり抜け落ちている。
ちなみに医者から自宅まで5km以上離れているため、妻への「歩いて帰ろう」という提案は、今思えば鬼畜だったなとも思う(苦笑)
水仙
かすかな記憶の中で、鮮明に覚えていることがある。
帰路の途中、道端に黄色い水仙がたくさん咲いていたことだ。
この数週間、自宅近くの公園を散歩している時、「来年はこの水仙を子供と一緒に見られる」と信じて疑わなかった。
雨天と、沈んだ気持ちで、目の前は灰色。
そこに飛び込んできた鮮やかな黄色い水仙。
グレーの背景に映える水仙の美しさは、今後、一生忘れることはない。
泣く
家に着き、居間の絨毯に腰掛ける妻。
私も、なんとか外では堪えていたが、家の中では感情が抑えきれなくなった。
妻を抱きしめ、2人で声を上げて泣いた。
その日は何もする気が起きなかったし、どうやって1日を終えたかも覚えていない。
その日は急に嗚咽してしまうくらい涙がいきなり溢れてきたことは覚えている。
それと、涙が止まらなくなりそうだったので、妻とタオルを1枚ずつ持ってベッドに入った。
夜は本当に寂しかった。
「3人だと思っていた家族が単なる虚像で、実は2人だった」という事実を受け入れるのが辛かった。
案の定、タオルの出番はすぐに、そして長い間訪れた。
今、このブログを書いていても、胸がしめつけられる。
私と妻のところにやってきてくれた大切な大切な命は、7週~10週の間に、私と妻の知らないうちに、そっと一人で空へ旅立っていたのだ。
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