妻が産婦人科でNT検査を受けてきた5日後、私も妻も代休を取っていたため自宅にいた。
午後2時くらいだっただろうか。
妻の携帯に産婦人科から電話がかかってきた。
「なんだろう?」と言って電話を取る妻。
向こうの声は電話口からハッキリとは聞こえてこないが、それに受け答えする妻の声は、あまり明るいものではない。
妻がドイツ語で「OK。分かりました。明日そちらに行きます」と言っていたのは分かった。
そして電話が終わった。
【13番目と18番目の染色体に異常があるかも…】
妻「こないだのNT-Messung(NT検査)の結果だけど、13番目と18番目の染色体に異常がある可能性が、中程度なんだって…」
私「え…それってどういうこと?」
恥ずかしながら、私はこの時点で13トリソミーと18トリソミーについての知識がまったくなかった。
妻「簡単に言うと、染色体異常の可能性がそこそこ高くて、もし本当に異常があったとしたら、産まれてきても長くは生きられないかもしれない…」
私「………」
言葉に詰まってしまった。
瞬時に、稽留流産の時の悲しみが、またしても胸の中に湧き上がってきた。
あの時と同じ苦しみ、いや、もしかしたらそれ以上の苦しみがまたやってくるかもしれないと考えると、吐きそうだった。
【13トリソミーと18トリソミー】
そもそもトリソミーとは、通常2本の染色体が3本ある状態のことを言う。
常染色体には1番から22番まで番号がふられていて、13トリソミーとは13番目の染色体に異常があること、18トリソミーとは18番目の染色体に異常があることを指す。
詳しい説明は割愛するが、21トリソミー(ダウン症)に比べると、13も18もどちらも非常に重篤で、無眼球をはじめとする体の奇形や、内臓の奇形、脳の未発達などが起こるらしい。
13トリソミーの赤ちゃんのうち、80%は生後1カ月以内に死亡し、1年以上生きられる子も10%に満たないと言われている。
そして18トリソミーでは、生後2カ月までに50%が死亡し、1年生きられる可能性は13%ほど。
いずれにしても、客観的に見てかなり厳しい数字であることは間違いない。
【13と18と21以外は?】
13トリソミーと18トリソミーについてググっている時に、ふと疑問が湧いた。
「染色体は22番まであるのに、なんで13と18と21だけが、染色体異常として認知されているのだろうか?」と。
「9トリソミーや15トリソミーが存在しないのはナゼ?」という疑問だ。
結論から言うと、15トリソミーや17トリソミーも存在することは存在するらしい。
しかし、私がググったところによると、13と18と21以外の染色体に異常があった場合、そもそも出産にこぎつける可能性が極めて低く、ほとんどが死産や流産につながってしまうという。(13と18と21トリソミーの場合も、出産できる確率は通常よりも低いらしい)
【明日、行きます】
その時の産婦人科からの電話で、妻はNIPT検査を勧められた。
NIPT検査とは、採血によって胎児の13、18、21トリソミーの可能性をより詳しく調べる検査のことだ。
「13と18のリスクが中程度」と言われたのは、あくまでNT検査の結果を受けてのこと。
さらに詳しく調べるためにはNIPTが必須となる。
NIPT検査を受けるため、妻は翌日産婦人科に行くことを電話口で約束したのだった。
【会話がなくなる】
その後、私と妻の会話がなくなった。
ショックのあまり、あの日のことをあまり覚えていない。
妻との会話が著しく減ったことだけは確かだ。
夕方になり、どちらが言い出したかは忘れたが、日課に従って散歩に行くことになった。
散歩の途中、妻が
「ねえ、もし異常があって長く生きられないとしても、私はおなかの子を産みたいんだけど、どう思う?」
と切り出した。
そう言われて、瞬時に私の心の中ではいろんな感情が渦巻いた。
「そうは言っても、産んで苦労しないか?」というネガティブな感情が最初にあったような記憶がある。
でも、妻に「どう思う?」と聞かれて、私は即座に「産みたいのなら絶対に産んだほうがいいと思う」と返した。
本音とは真逆だ。
しかしながら、あの時、妻に「産んだほうがいいと思う」と即座に返事したことは、間違っていなかったような気がする。
出産を望む女性にとって、出産は人生において最も重要な出来事の1つであることは想像に難くない。
その願望を否定してしまったら、もしかしたら妻と私の間には大きな溝ができていたかもしれない。
そして、こんなことをブログに記してしまえば、これを読んだ妻には私の本当の気持ちが分かってしまう。
でも、このブログはあくまで男性目線かつ海外(ドイツ)での妊活情報を、多少のフィクションを交えつつも、できる限り詳細に記そうと思って始めたものだ。
夫婦のどちらもが子供を望んでいたとしても、女性と男性で考えに差異があるのはそんなに珍しいことではないと思う。
【その後も会話は少なく…】
散歩中の会話は、他には特に覚えていない。
たぶん1時間くらいは歩いたと思う。
帰宅後、食事をしている時も、居間でのんびりしている時も、私と妻の間に会話はほとんどなかった。
私も妻も、ただただ暗い気持ちになり、先の見えない不安に襲われていたのだろう。
決して二人の関係が険悪になったわけではない。
本当に、ただ、会話をする元気がなかっただけなのだ。
いざ就寝という時間になり、二人でベッドに横になったところで、「何か話さないと」と思った私が言葉を絞り出した。
「まあ………もう、きっとさ、なるようにしかならんよね」
妻は「そうだよね」と短く答えてくれた。
この時、ふと、妻の姉夫妻のことが頭に浮かんだ。
妻の姉は、私たちよりも数年遅く結婚したが、この1年ほど前、つまり我々が稽留流産を経験した直後に、すでに第一子を出産していた。
「なんで自分たちばかりがこんなことを経験しないといけないんだろう。なんで義姉のところはあっさりと子供を授かったんだろう」と、その義姉夫妻のことが急に妬ましく思えた。
そして妬む自分にも嫌気が差した。
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